2007年05月10日

植松4丁目の夕日

私が生まれ育ったのは、大阪府下のベッドタウン。
今でこそ駅前は、当時を偲ぶ影もないほど、発展しているようですが、昭和40年代のその頃というと、まだ大阪市内に向かう電車に材木や石油を積んだD51がシュポシュポと煙を吐きながら、並走しているような有様でした。

国道以外は車がすれ違うのがやっとの道路に、マッチ箱のような家がひしめく町は、今から思えば随分とゴチャゴチャしていました。
私の生家の横は、人ひとり通るのがやっとの狭い路地で、この路地に沿って長屋がありました。
間取りは4畳半と6畳の和室に土間にある台所とあとから無理やりくっつけたトイレ。
当時のことですから、もちろんお風呂はありません。その界隈では、むしろ家庭にお風呂のないのが普通でした。
この長屋に何世帯もの家族が暮らしていたのですが、そのなかに一人暮らしのおじいさんがいまして、今日はこのおじいさんのお話です。

このじいさん、野良犬を見かけると連れて帰ってきてしまいます。
荷造り用のヒモを犬の首にくくりつけて玄関先で飼うのです。
犬は飼っちゃダメ、と家主であるウチのばあさんがいくら注意しても「ハイハイ、すいません。すいません」と口では言うものの、ちっともすまなそうじゃない様子が子供の目からみても面白い、懲りないじいさんでした。
かといって、近頃たまにニュースなどで見かける犬屋敷になるかというと、そうでもない。
劣悪な食料事情がイヤになるのか、はたまた元の自由な暮らしが懐かしくなるのか、犬のほうから脱走して、いつのまにかいなくなるのでした。
でもって、じいさんは犬がいなくなると、またどこかで拾ってくるのでした。
こんなことばかりしていたので、近所でついたあだ名が「ハチコのおっさん」
ハチコというのは、忠犬ハチ公のことで、大阪弁で言うと最後のウの音を発音しないので、こうなるのです。エテ公(猿)を「エテコ」と言うようなもんですね。
とにかく、犬を拾っては忠犬ハチ公のようになれとかわいがるのですが、なぜか逃げられることの繰り返しですので、親しみと揶揄を込めてこう呼ばれていました。

当時、家主の孫で幼児だった私に、飼ってはいけないという犬を飼っていることのせめてもの罪ほろぼしのつもりだったのかどうか、じいさんは私をよく家に招き入れてはアメやおせんべいをくれました。
仏壇ともいえないほどの、質素な棚の上には、軍刀を腰にぶらさげて、白馬に跨った陸軍将校の写真と位牌が飾られていました。
いつもニコニコして、どこからどこまでが冗談なのか本気なのかわからないようなじいさんが、その戦死したという一人息子の写真を眺めるときにだけ、さみしそうな目をしていたのを、今でもはっきりと憶えています。


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ニックネーム 空 at 21:13| Comment(15) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする